忌々しいあのコロナ禍での社会混乱は、もちろん望ましい事ではない。
だが、その間の二輪業界の盛況ぶりは日本全国規模におよんだ現象であった事だ。
聞けば昨年の秋頃より、業界の業績は従来の水準に戻ったとか なんとか・・・
サンクチュアリー本店はと言えば(多少は静かになったかな?)と言う程度であって
母体法人であるノーブレスト、そして内燃機加工部門ディンクス共々、いわずもがな
多忙な日々を過ごしているのに変わりはない。
心を亡くすと書いて、忙
いつものセリフだが、正に自分がそんな状況に陥っていて それも長引いている事は
十分に自覚できていた。
そんな数年間の中で 今年もまた・・・
何十台ものRCMオーダーを横目に、ブログ更新もままならない最中で凝りもせず
また早朝の筑波へ・・・
3月の初旬だと気温、そして路面温度共に ややナーバスである事は予想されたが
今取り組んでいる事がこれまでとは異なる次元の難しさを伴っており、正直言えば
些細な条件など気にはしていられない。
大きな怪我が連続した中で 昨年度、全日本選手権を走り切ったライダー國川浩道。
テイストオブツクバも、ここ数年間で大きく様変わりしたなと感じているが・・・
今や、かの最強最速クラスに空冷Zで挑む、唯一無二の乗り手だと言えるだろう。
実は今週末に開催される大会に、サンクチュアリー本店レーシングはエントリーを
していない。
それは國川浩道も交え、春のエントリーは見送ると今年初頭に決められた事だった。
それでも3月上旬から数度に渡り筑波へと通って走る。
それは複数に及ぶ自社製エンジン部品を同時に検証する為のテストライドであった。
かつて共に戦った佐々木は、RCMの製作や修理など実務の遅れをカバーする為に
クルーから外れて工場業務に専任して貰っている。
だから、ピットクルーはリーダーの誠太郎と仁科の二名のみで続けており、とても
手が足りているとは言えない状況・・・
それでも二人共、この数年間 熟して来たピットワークの経験値は大きい・・・
多忙極めるショップで10年以上勤務し やっと一人前のメカニックになれるもの。
それと同じで、レースメカニックのスキルも1年や2年で身に着くものではない。
だから「継続は力なり」と、サンクチュアリー本店のメカ達には常々語って来た。
只でさえ忙しい日々の中で、レーサー業務に携わるのは厳しい行為である。
ましてや今のサンクチュアリー本店の状況は、大袈裟に聞こえるかも知れないが
常軌を逸している過密な業務と戦っており、そこで時間を作って進めて行くには
メンタルの強さを求められる。
幾度にも渡ってエンジンを分解し、組み立ててはテストの繰り返し・・・
向かい風に抗うが如くトライし続けているのは、完全自社製のエンジンパーツで
その数は複数におよんだ。
まずはピストンである。
ハーキュリーズマシン達の恐るべし加速に対抗するには、後軸出力160馬力を
持ってしても全く歯が立たない。
それでも150馬力より160馬力の方が良いのは、あたり前・・・
パワーを生み出す為のピストンの役割は極めて重要であり、ディンクスの協力の下
老舗の試作メーカーを巻き込んでまで開発は行われていた。
単に馬力を求めるだけの開発ではない・・・
3号機のキャラクターにマッチした出力特性、すなわち 國川浩道が好むエンジン
性質を求めた上での出力追求であるから、正しく難しいのだ。
そして忘れてはならないのが、周回レースマシンのエンジンであると言う事だ。
予選で潜在能力を発揮し、決勝でも決して壊れる事無く12ラップを走り切れる事。
パワーと性質と耐久性の 全てを持ち合わせたエンジンを造る・・・
それも同じ空冷クラスのマシンを相手にしたレースではなく、最強最速の水冷勢に
真っ向勝負を挑めるエンジンを造る事など 実現できるのだろうかと絶望すらする。
そんな先の見えない開発でもあった。
練習走行ではなく、開発の為の走行・・・
もちろんこの開発は、ライダー國川浩道の同意なしで進められるものではなかった。
本来であれば、この5月の大会にエントリーすると言う選択肢もあったはず・・・
國川とて、ライダーとしての技量でハンディを越える事に臆してはいないのだから。
だが、空冷Zであのハーキュリーズマシンに真剣に勝とうと考えるなら、今までと
同じ概念でセットアップや練習を繰り返していても届くものではない・・・
それが現実。
ところが、國川の反応は意外なものだった・・・
彼はメーカーマシンのレース活動も数多く経験して来ており、バイクとレースとの
密接な関係性の一つに「開発」が在る事を充分認識していたのである。
むしろ「それはやりがいある事」として快く承諾してくれたから、周囲の技術者や
クルースタッフのモチベーションも変わった。
だが、理論通りに造ってそれを精密に加工したとて、それが一発で決まるほどに
あまい水準のレースではない。
空冷Zで57秒台を目指すと言うのは、そういうものであろう・・・
100の失敗を積み重ねた上に、一つの成功が在る。
ゼッケン39最後の挑戦は、新たなフェーズへと移行した。
これから始まる、もの造りに賭けた男達の開発と秋の大会を目指したレース活動を
自分に与えられた、作れる限りの時間の中で綴って行きたいと思います。
(その2に続く)