自分は1966年、丙午年生まれ
いわゆるバイクブームど真ん中世代の、現在57歳である。
最初に空冷Zを手にしたのは、16歳になって間もなくのZ400FX E2だが
モリワキマフラーを買おうと金を溜めていたら、数か月後に友人に事故られ廃車。
その後、なけなしの預金20万円をはたいてCBX400Fの中古車を購入する。
当時これが見事に良いバイクで楽しかったものの、どうしてもカワサキが恋しく
Z400GPにチェンジ。
ワインディングロードでのバトルや筑波サーキットのスポーツ走行にのめり込み
つい出来心から他のバイクに浮気する事、たびたび。
レースにも参加したかったが、何せ金がない・・・
それでも ”バイクはスポーツライディングしてなんぼ” と捉えており、振り返れば
当時から そんな考え方しかしていなかった様に思う。
カワサキの空冷4発だけが印象強く、この頃まだ一発試験だった限定解除免許を
取得してZ750FXを手に入れた。
まだ20歳だった当時、Z750FXはもちろん中古車だったが、不人気車種な
事から安かった記憶と「何でそんな おじさんバイクを買ったの?」と、周囲から
からかわれ 理解されなかったのを憶えている・・・
たとえ「おじさんバイク」でも、走りはスポーツライディング志向。
すでに旧型呼ばわりされてたFXでも「やれるぜ」と言うのを証明するかの如き
自分で言うのもなんだが、かなり乗れていたと思う。
この頃、バイクメカニックとして業界へ入門。
そして、リッターバイクが台頭し出す時代へ。
「もうカワサキ空冷から離れないぞ」と決意していたから、最もパワフルだった
GPz1100に一時浮気したが、22歳の時、すなわち今から35年ほど前に
愛機 Z1-R(Ⅱ型)と出会う。
(俺が求めてたのは正にこのバイクだ!)とうかれて、第三京浜を疾走したまでは
良かったが、驚いた事に とんでもなくハンドリングが悪い・・・
(このバイクは何て走らないんだ)と呆れて、Z750FXの方が良いバイクじゃ
ないかと軽く後悔をした。
それでも、ここから何とかもっと走るバイクにしたいと燃えて、本格的なカスタム
チューニング路線に火が付くのだが。
1990年代の初頭、筑波で開催されていたレースTOFに出会う。
今のTOTの前身たるレースで、仲間がエントリーする事からメカニックとして
同行したのだが、そこで激しくショックを受けた。
まだ一部の車両だけだったが、前後輪17インチホイール化された空冷モンスター
Zの痛烈な走りを眼前で垣間見、高性能ラジアルタイヤを装備した17インチZの
迫力に心が躍動した。
さほど時をあけずして
1995年 AC・サンクチュアリー創業。
趣味を仕事とし、趣味を生業にして生活して行く道を選んだ。
創業時のサンクチュアリーでは とにかく好きな仕事ばかりしており、自らの愛機
Z1-Rもフルリメイクで17インチホイール化した。
サンクチュアリーの個性であり、RCMのコンセプトが産声を上げた瞬間である。
自らもTOFに参戦した理由は、もう居てもたってもいられずの一心からだったが
この頃はまだアマチュアレース感が色濃くあった。
2000年初頭に入ると
レースは加速し、短期間でハイレベルな水準に到達する・・・
白熱する空冷モンスタークラスは、みるみる増えて行くエントリー台数の多さから
今の18インチホイールのモンスターと17インチホイールのモンスターエヴォの
2クラスに分かれた。
2007年には
17インチホイール化だけに留まらず、ついにオリジナルフレームの空冷Zが登場し
結果、今のスーパーモンスターエヴォリューションクラスが創設される。
第一回 テイストオブツクバ TOTへとレース名も変わった。
進化を果たした空冷Zの頂上決戦は、見る者全てが手に汗にぎるレース展開をした。
だが、誰しもが皆オリジナルフレームを造って 国際ライダーを搭乗させたレースを
できる訳ではない・・・
コンストラクターとして多大な時間と予算を垂れ流し続けるような行為なのだから。
となれば
当然、スーパーモンスターエヴォクラスのエントリー台数は増えて行かない・・・
単独クラスとして成り立たず、ハーキュリーズマシンとの2クラス混走となった。
エントリーマシンの台数が減少したのは、他にも理由があると感じる。
皆 過激な方向のチューニング路線から離れ、前後18インチのモンスタークラス
全盛の時代へと移行して行ったからだ。
自分自身57歳なのだから、ユーザー達の平均年齢も近い年齢の人達ばかりだろう。
過激な先鋭的チューニング路線ではなく、ノスタルジックな80年代のテイストに
ふたたびスポットはあたった。
この傾向はストリートでも同じ事が起きており、折りしも旧車の価格高騰が重なり
もはや骨董品扱いされる状況に・・・
四半世紀ほどの時の流れの中で、あきらかに趣向が変化したのだ。
対してサンクチュアリーのRCMは この25年間、今も変わる事がない。
何故・・・ 未だにこの路線に拘っているのは何故かと、自らに問うてみた。
ひとつは、自分にとって空冷Zとは永遠のスポーツバイクであるから、速さこそが
全てで、乗り方はともかく バトルマシンで在って欲しい事だ。
これを当時物の旧車として捉える様になったら、自分は何の未練もなく躊躇う事なく
きれいさっぱり空冷Zと別れるだろう・・・
あくまでも商売として旧車の販売はする、だがそれは生業として 仕事としてだ。
おじさんバイクに本当におじさんが乗る時代になってしまったが、それでも自分は
今でも空冷Zに対して16歳の時に抱いた夢の中。
それがAC・サンクチュアリー創業時の想いでもあって、決してブレる事ないから
RCMは今もRCMのアイデンティティーを貫いている。
今までの自分の歴史を振り返れば紐解ける・・・
進化系カスタム路線を止める時は 自分にとって空冷Zとの付き合いが終わる時だ。
筑波TOTとは、全身レースであるTOFからの引き継がれし遺産であり・・・
空冷4発、所謂モンスタークラス車両が主役の祭典であったと、今も思っている。
時代は移り変わり、空冷だけのレース展開だけでは成り立たない事は理解している。
だが・・・
だからこそ、今までの道を行こう。
まだ、やっていない事があるんだ!
こんな最後の時代に、空冷4発マシンで最頂上クラスに挑戦したマシンがあった事。
たとえ空冷Z最後の1台になったとしても、最頂上クラスに
空冷Zで並みいるハイパワー水冷マシン群に果敢に挑んだライダーが存在した事を
忘れられない記憶としての ”やり切り” を刻みたいのだ。
サンクチュアリー本店レーシング、ゼッケン39最後の挑戦 ラストラウンドに向け
常に先を走り続け 牽引し続けた最強の存在・・・
追い付け 追い越せと、その打倒を悲願に掲げた最大のライバルでもあるチーム
イエローコーンに尊敬と敬意の意を表し
2023年11月5日、スーパーモンスターエヴォリューションクラスに臨む。
(その5に続く)